文化や太郎 (通訳案内士/日本文化)

経験40年通訳ガイドが通訳案内の情報や通訳案内士希望者へのお手伝い、インバンド、日本文化紹介のコツなどおりおり語ります。

日光の日暮門と竜宮門

日が暮れるまで見ていても飽きない日暮門とはもちろん東照宮陽明門、そして海の龍宮へ導く門であると言われる竜宮門は日光大猷院の皇嘉門。日暮門が精緻な豪華さの表現なら竜宮門は幽玄と「さび」の表現。この二門の表現は両方が当時の匠達の技、「人工美」の極限といえる。
しかもこの二箇所は樹齢数百年の杉の自然美に囲まれて境内全体の風景として美しく溶け込んでいる。雑談のテーマが尽きることはない。

太郎は順番待ちすることが多く靴を脱いでもらう必要もある「鳴き龍」より案内することも多く、自然美と人工美の対局を融合させる技と美意識は日本人の得意とする分野の一つだろう。例えばあえて野の花を切り取り、器の中に自然を再構築し愛でる文化は「花道」でありまた「華道」でもある。

陽明門(日暮門)

皇嘉門(竜宮門)

日光東照宮ちょっと休憩

日光東照宮は境内が広いので輪王寺本堂か二荒山神社の駐車場を選ぶかでお客様に歩いていただく距離が違ってくる。逍遥園で日本庭園の話か二荒山神社を含め神仏習合の話を多くするかでも駐車場は違ってくるだろう。

食事処ではなく富裕層高齢者が境内内で座ってちょっと休むという場所が意外と少なかったが、日光東照宝物館一階にあるcafeがオープンしてからだいぶご案内が楽になった。(宝物館一階は無料)

滞在時間が限られて五重の塔と東照宮だけ急かされ上って下りて次に移動ではあまりに残念な世界遺産だ。家光を祀った日光大猷院への立ち寄りも奥の院入口、皇嘉門(竜宮門)は明朝様式で陽明門とは違った趣きで喜ばれ、日光市バスバス停にも近く時間調整に使える太郎お勧めご案内スポットだ。

冬の日光東照宮

雨や雪の東照宮は滑りやすいのでご案内する時に注意を要する。世界遺産は手摺りを増設するにも規制があり十分ではない場合がある。以前、雪の日 陽明門まで勢い上がったのはいいが降りることができなくなり難儀された高齢のご婦人が他のお客さんに迷惑をかけた申し訳ない感情をガイドの太郎へ向けられた。ご婦人からお叱りを受けた。
"It is your fault, you should have told me how many steps there were before we started going up for sightseeing."
観光客は"It is your fault, not mine."が大好きだ。(笑)

足の筋力は上りより下りが試されるので厳寒地や冬の天気が悪い日のガイド就業にはバスや車を降車する前に現地状況をきちんと説明して「自己責任」をお願いしないと後でトラブルことがある。

Photo by Taro

ほんまもんの蕎麦

今日は大晦日、年越し蕎麦でお蕎麦屋さんは時代が変われど相変わらず忙しい日だ。この時期に思い出す「お客様」がいる。

飛行機が着いてファーストクラスだったこともあり半時間ちょっとで到着階ロビーに米国からの富裕層一家が現れた。「車とガイドだけを用意してくれ、後は着いてから決める」というリクエストであった。先ずは皇居近くにある某ホテルのスイートへチェックイン。来日は11歳の男の子への誕生日プレゼントだということで翌日彼が行きたいところへ行った。

ジブリまんだらけ秋葉原、フクロウcafe、お台場ガンダムへ。そろそろ食事時となり
"I do love Japanese buckwheat noodle, please take me a 100% genuine Japanese 'soba' restaurant!! "
念のためお父さんのリクエストではない。息子さんのリクエストだ。
ガイド側の演出上、店構えの風格も伝統的に整った店を選びたかった。江戸三大老蕎麦屋さん本店に直行、ざる蕎麦一枚に生山葵と鮫皮の山葵おろし器を注文、天ぷらなどの追加など一切なく出来れば100%蕎麦粉を希望されたが八割蕎麦になった。
最初は蕎麦だけを味わい、次にツユを少々で一口、次に自分でおろした生山葵を箸で器用に蕎麦にチョイチョイと添えて蕎麦猪口へ、そして締めに別蕎麦猪口にて蕎麦湯を飲み干し "How savory and tasty!"と笑う少年の顔はグルメの大人の顔であった。両親は息子が満足したのを見て目を細めて喜ばれ私にOKの目配せをした。
ほんまもんの味の経験は「親からのほんまもんのプレゼント」であろう。

良い新年をお迎えください!ではまた

チーム・ラボ・ボーダレス森ミュジアム

インバウンドも観光から体験型ツーリズムへ、同様に美術館や博物館も体験型に進化が止まらない。「見せ方」はメッセージの表現として多種多様になり、お客さんの美術館/博物館の選択肢も増えた。

今年何回お客さんを連れて行ったか覚えていないが新しくオープンしたボーダレス森ミュジアムは、3次元に閉じ込められた私達を一瞬異次元に解放させてくれる。流行の最先端技術で仕掛けられている表現が人気で外国人観光客が非常に多いが、全く新しいコンセプトで各自が方向感覚を失ない新しい自分を見つける「実験装置」のようだ。館内の順路を何度か体験したことのあるガイドさんはお客さんとは一緒に敢えていない方がお客さんは楽しめる。

大変人気があるからと勧めても一概にこの大変斬新な表現形態を全ての訪問者が楽しむとは限らない。
'I am sick of it!' 'I simply don't like this museum!'
は 従来型博物館に行き単に'It is boring!'と言うのとはニュアンスが違っている。特に富裕層FITは、訪問箇所の選択は当日ロビーで実際にお会いしてみなければ決められないこともあり手配書変更もあり得る。 photo by Taro

日本到着日の観光

早朝に成田空港着、そのまま直ぐに観光を開始するツァーは以前は考えられなかったが最近は増えた。今回は空港から少年少女達と先ずJALスカイミュジアムへ観光開始。

睡眠不足や時差ぼけ、気圧の変化、疲労などが原因で不注意や転倒、忘れ物など小さいお客様ほど気をつけたい。今回は突然の気圧変化からか降機で鼻血とスマホの忘れ物があった。

おまけに 桐紋も!

「紋」にこだわる太郎ですが実はガイドさんには後で「お役にたつ」時もある。

桐紋は現代では日本政府の紋章首相官邸や500円硬貨にも使われ、お客さんと観光地を歩くと見る機会も多い紋だ。

ガイドが金閣平等院を案内する定番説明の鳳凰鳳凰の止まり木が桐の木で神聖な木として桐は「権威」の象徴。 元は皇室のみが桐紋を使用していた。
後に天皇は強力な配下の武将に桐紋の使用を許し、手柄をたてた家臣へまたその使用を許し武家社会の中で使用が広がっていった。
織田信長豊臣秀吉に使用を許し秀吉は喜んで家紋にしたとも言われる。(後醍醐天皇->足利義昭将軍->織田信長->豊臣秀吉)。しかし徳川家康征夷大将軍に任命された時すぱっと桐紋を拒否。権威維持のため「葵の紋」は将軍家と御三家のみが使用、家康は駿府に引退してから初めて身の回りに桐紋を使ったと言われている。

一族の存続と権威のため紋の使い方にも武将の個性がありロゴや商標に気を使う今の企業のイメージ戦略と似ている点がビジネスマンとの雑談に使える素材だ。

Paulownia had been regarded as sacred tree in old Japan since Hoou,' Phoenix, mythological sacred bird ('Ho' is sometimes called male Phoenix, 'Ou', female Phoenix.), symbolizing'king of kings,' perched on the paulownia tree. The paulownia emblem was used only by the imperial members, later the emblem was bestowed on the biggest 'samurai' families from the emperor.

醍醐寺総門入ってしばらく歩くと三宝院 (桐と菊紋が見事だ。)

明治神宮(見慣れた風景の中に桐紋ありでいくらでも話題は尽きない)